酒とバラとドラキュラの日々  @ソフィア    2010年12月号
H.I.
 酷暑の中、どうやって金をかき集めることができたのか、すでにもう記憶はもうろうとし遠くなっている。「喝! 人生は短く修行は長い」。師の声は天の声。秘境の地、東欧の黒海西岸の二国を目指し、関西空港からトルコ航空で飛び立ったのは8月の下旬であった。ブルガリアといえばヨーグルト、ルーマニアといえばトランシルヴァニア地方に伝わるドラキュラ伝説、その位しか知らない。事前に予習をと図書館で「ドラキュラ」を借りんとするも、取り寄せが出発までに間に合わなかった。旅から帰って手に取ると、児童向けにアレンジされた書だった。わたしのレベルにはちょうど良かったが、後の祭り。やむなく、知識は手塚治虫「ドン・ドラキュラ」に拠るのみ。
 片や、ブルガリア。歴史書など借り入れたが、本文は最初の数ページ、紀元前のブルガリア建国伝説あたりで挫折(暑かったのだ)。ヨーグルトまでの期間は依然として不明のまま残ったのである。師匠に機中で教えを受ける。「ブルガリアはヨーロッパの日本と言われている」。これはなかなか奥の深い言葉であるとは思ったが、どこが似ているのかは聞きそびれてしまった。
 ツアーは約18人(暑くて人数もぼやけている)。男は、なんと2人だけ。若い美女に囲まれ、これでは修行にならずと煩悩の日々も予想されたが、幸いにして杞憂であった。

 機は、朝鮮半島の西を通り(さすがに半島上空は通らない)、モンゴル、シルクロード天山山脈あたりと思しきところを越えてゆく。エアバスA330-200の深夜便はひたすら西を目指して進んでゆく。やがて、コーカサス地方グルジア上空を横切り(朝食)、黒海へと抜け、早朝5時(現地時間)にまず、イスタンブールに着く。13時間のフライトである。3時間ほどの休憩。コーヒーを一杯だけ飲む。4ユーロ。円高のせいか、少し安く感じた。トイレが大いに混んでいて、待たされる。
 8時半、またもトルコ航空(B737機)でブルガリアへと離陸。バルカン半島あたりはトルコ航空が伸しているのか。あとで判明するが(単に無知だった?)、この辺り一帯は長らくオスマン帝国の領土であったのだ。500年近くにわたる圧倒的な影響力は一朝一夕に変わるものではないと納得したのである。ブルガリアなど、トルコから独立してから、たかだか130年ほどである。独立は、ロシアとトルコの戦争の結果であり、ブルガリア側に立って戦った多くのロシア兵が死に、同じスラブ族、同じ正教国ということもあってか、それ以来、歴史的な親露感情が強く残っているとのこと。
 緑の山々を越え(この辺が日本を彷彿とさせるのかも)、やがて平野が見え、手入れされた畑と点在する街(村の集落)と道路が見えてきて、10時に首都ソフィアの空港に着いた。ソフィア、「知」という名を持つ街。なかなか粋ではないか。


 トルコ航空でブルガリアへ(イスタンブール)


 機内から

 ソフィア市内
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