村上紀行 冬の陣                       2012年1月号
H.T

 寒風吹きすさぶ、越後の城下町、村上市。準備万端、体調も整えて、さあ大いに飲んで食べるのだ、と意気盛んではあったのだが、不覚にもカゼをひいてマスク姿で出かける羽目となった。夜の食事に備え、昼抜きとする。
 12月28日、新潟で食通のS氏と待ち合わせて、「いなほ83号」13:37発−村上14:29着に乗り込む。村上には雪が積もっていた。
 宿は芭蕉ゆかりの『井筒屋』。『おくのほそ道』には、「鼠(ねず)の関をこゆれば、越後の地に歩行(あゆみ)を改て、越中の国一ぶりの関に到る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず」と、詳細は記さず、二句のみ掲げている。そのひとつが、
     荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)
 村上での様子などが知れるのは、付き添いの『曽良旅日記』による。「廿八日 ・・・申ノ上刻二村上ニ着、宿借テ城中ヘ案内。廿九日 ・・・未ノ下尅、宿久左衛門同道ニテ瀬波ヘ行ク」。この「久左衛門」なる者が大和屋久左衛門で、現在の井筒屋の場に宿を営んでいたということらしい。
 久左衛門ではなく、宿のママに車で、瀬波温泉に送ってもらう。日本海に面した温泉のひとつで湯につかった後、また車で宿まで。夕刻となったので、5分ほど離れた割烹『千渡里(ちどり)』へと繰り出す。刺身、鮭、だし巻き卵など食しているうち、掘りごたつ風の席もカウンターもほぼ満員となる。女将の言うには、3月の地震後は送別会などのキャンセルが相次ぎ、客足が途絶えて、「これからどうなってしまうんだろう」と思ったほど大変だったそうだ。今は、また回復してきているのだろう。二日目は、カキ鍋に舌鼓を打つ。焼きガレイも美味。ざるそば、コシがあり良い。
 三日目、帰る前に、市役所裏の道に開かれていた歳末の市を覗く。寒さにもかかわらず、人ごみでにぎわっている。豆入りの切り餅を買う。

 この季節、至る所で軒先に鮭が


 豆とモチを売っていたおばあちゃん


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