紹介図書 著者
倒産の淵から蘇った会社達 村松謙一 2005.6 49号
ケンタロウのこれでよし! ケンタロウ 2005.5 48号
さおだけ屋はなぜ潰れないのか 山田真哉 2005.4 47号
父の肖像 辻井 喬 2005.3 46号
チェーホフ 浦 雅春 2005.2 45号
異邦人の夜 梁 石日 2005.1 44号
八ッブル望遠鏡の宇宙遺産 野本 陽代 2004.12 43号
脳は美をいかに感じるか エミール・ゼキ 2004.11 42号
夜回り先生 水谷 修 2004.10 41号
山のいで湯「日本百名湯」(上・下) 美坂 哲男 2004.9 40号
日本縦断 徒歩の旅 -65歳の挑戦- 石川 文洋 2004.8 39号
ブラフマンの埋葬 小川 洋子 2004.7 38号
クライマーズ・ハイ 横山 秀夫 2004.6 37号
フューチャー・イズ・ワイルド ドゥーガル・ディクソン&
ジョン・アダムス
2004.4 35号
二百年の子供 大江 健三郎 2004.3 34号
まわれ映写機 椎名 誠 2004.1    32号
僕が最後に言い残したかったこと 青木 雄二 2003.12 31号
石川文洋のカメラマン人生 石川 文洋 2003.11 30号
2003.8 29号以前の紹介図書 ぽぽろしんぶんTOP PAGE

倒産の淵から
蘇った会社たち

村松謙一
新日本出版社

1600円

 もう何年も前になるが、山で道がわからなくなり、ビバーク(野宿)したことがあった。3人組であったが、地図の道をたどっていくが、だんだん道の跡が消えてゆき、沢の源流から上へ上へと進むも、あたりは笹だらけとなり、日も暮れてきたのであった。不審に思いながらも、磁石の方向も間違ってなく、疑念だけは深まったのであったが、これ以上動き回るのは危険と判断し、なるべく平らなところを探し、夜を明かす事にしたのだった。国立公園の中ではあったが、緊急避難である。枯れ枝を集め、焚き火を燃やし、一夜を明かした。雨も少々降ったりしていたが、火があるだけでずいぶんと安心したものだ。翌朝、もと来た方向に下っていこうと考えたが、ひとりが上へと200メートル程行ってみると、登山道が見つかったのだった。あとで確かめると、地図がかなり古く、もう廃道となっているところを歩いていたのだった。遭難届けを出そうかという騒ぎになっていたことも後で知った。
 これは大事に至らなかった思い出であるが、人生も会社も奮闘努力しても、思うようにならず、気がついてみるとのっぴきならないことになっていたということは十分ありうる。他人事ではない。
 「命で弁償する」とまで思いつめた経営者に、思い違いしてはいけない、まず大事なのが「命」、次に「自由」、「財産・名誉」は三番目だ、と説いてきた、会社再建(または人間救済)にあたってきた弁護士の書である。失業、病気、事故、離別、さまざまなことはあろうが、どう生きるべきかを問う、哲学の書でもあるのだ。

ケンタロウの
これでよし!
ケンタロウ
幻冬社
1400円

口数も少なく、どうも機嫌がよくなさそうだという人も、食べると打って変わって饒舌になったりするものである。全身全霊を打ち込んで無言で食す人もいるようであるが。
 小生、味噌汁など、当初はダシをいれないでいて、何回やっても変な味のままであった。まことに、無知というのはおそろしいものである。しかしながら、門前の小僧習わぬ経を読みではないが、(秘伝を伝授されたのち)山では、コッヘルで芯のない飯を間違いなく炊けるようになった。
 あきたこまちに、シメジの味噌汁、焼き魚と納豆、これだけあれば至福の時、などと単純明快・単細胞的な味覚の持ち主の諸君であっても、レパートリーが広いに越したことはないのである。
 というわけで、伝統と技を受け継ぐべく、料理アーチスト・ケンタロウ氏の奥義を公開した本書となったわけである。
 パスタでございます、といかにも当世受けしそうなテーマからはじめながらも、すかさず、「ごはんには絶対みそ汁。これがないと、『いただきます』が言えません。』と本筋に入るなど、芸も細かいのである。さんまは「僕は主観にまかせて選びます。でなければ、魚屋さんに聞いてみる。」といいかげんに見せてもツボを押さえる。ニクイ。ほうれん草も、はっぱのほうから茹でるのが、小林家流とか。
 本書で絶賛の、豆板醤、オイスターソースなど、さっそく買いに走り、エビチリなど食してみた。(若干ダマになったが)これでよし!
 読んで楽しく、作ってまたうれしい、長持ちする一冊。


さおだけ屋は
なぜ潰れない
のか

山田真哉
光文社
700円

意表をつく題名に惹かれて手にとって見ると、これが会計学の本だという。あ〜ァヤダヤダ失敗した、だまされた、と仕方なく読み進めてみると、これが意外に面白い。
 確かに、「さおやー、さお竹」というのを聞き、あれで商売やっていけるのかと、心の片隅に引っかかっていたことが白日の下にさらされ、変だと思いませんか?と言われると、そうそう昔からそう思ってたんだと納得してしまう。実にあざやかな導入である。
 何年も前から人がはいってるのをほとんど見かけない「高級フランス料理店」とか・・・、「これは『注文の多い料理店』で、たぶん入ったひとは奥に案内されて二度と帰ってこないのだ」などと推理してしまったりしたのであるが、実は・・・。
 語り口のうまさで、この人は本当に公認会計士?と疑ってしまうのであるが、そこは会計学に惚れてホレテ、その真髄をどうしても語らずにはいられないのだよ、ということなのである。最後には、ゲーテまで持ち出して「最高の芸術」とまで語らせているのである。
 『女子大生会計士の事件簿』などというのも著しているらしい。読んでみたくなってしまった。
 (ところで、なんでさおだけ屋はつぶれないのかって?そういえば、なぜ?? 最近、とみに健忘症気味ですっかり忘れてしまった。ぜひ、本書を読んだ人は教えてほしい。)


父の肖像
辻井 喬
新潮社
2600円

二足のわらじとも言う。著者は西武百貨店・セゾングループのトップであった堤清二氏である。「辻井喬」はペンネームで、薄学(博学ではない)なる小生は、全く知らなかった。しかし、インターネットで調べて、これが本当であることがわかった。そう言えば、かすかに小耳にはさんだ記憶もないではない。
 経営者の遊びとして書いてたのだろうという偏見を持ちつつ手にとってみたのであるが、これがどうして、淡々としていながら読ませるのである。医者でありつつ小説家もいるのであるから、予断を持ってはいけない。1927年生まれというので、氏はすでに70半ばとなるはずである。そうしてみると、これは、父の肖像でありながら、異母兄弟・育ての母などに囲まれて育った自らの肖像でもあり、謎のまま会ったことのなかった実の母の肖像(想像での)でもあり、さらに言えば、膨大な財をなした「堤家」の肖像でもあるようである。小説の中で描かれた堤家の財産相続の手の内が、今騒がれている西武鉄道・コクドの不祥事となって現われて、氏も驚いたようである。まさに、「自然が芸術を模倣」したのである。
 すぐれた芸術は多面的なものかもしれないが、この小説もさまざまに読むことができる。歴史小説であり、「父と子」という永遠のテーマでもあり、経済小説・政治の裏面史としても興味深いだろう。
 しかし、これは、断じて青春小説なのである。戦争が終わった後の解放感と、自由の空気を呼吸した青春への賛歌なのである。若い日の真の価値がわかるのは、こうして歳をへて初めてできることなのだろうか。


チェーホフ
浦 雅春
岩波新書
700円

今なら私も早死にということになるね。なにしろ44歳、結婚して3年だったからね。当時は、結核は不治の病だったんだよ。まあ、私の書いたものなどは5年か10年も経てばみんな忘れられてしまうと思ってたがね。こうして、没後100年とか言って、本が出たり、演劇も上演されてるんだってね。シェークスピアと並んで人気だって?まあ、こちらでは飲み友達だよ。(生前は飲んだりしなかったけどね)
 そうそう、爺さんは農奴だったんで、そういう出身の卑しい身分の青年が「一滴一滴と自分の体から奴隷の血を絞り捨ててゆく姿を」書いてみたいと思ってたんだが・・・。
 いつも人に囲まれていたけど孤独だった「知られざる素顔」なんて、チト、オーバーだね。自分で言うのもなんだが、女性にはもてたよ。人を笑わせてばかりいたがね。私の作品には「無意味の深淵」がのぞいている、のかい?なるほど、そういう見方もあるんだね。英雄も書かず、大事件もでてこないけど、私は医者だったからね。カルテに、同情するとか、正しく生きた、なんて書かないだろう。まあ、「医学は正妻で文学は愛人だ」とうそぶいたりしたからね。
 「『こんにちは』くらいにはっきりしていて、『お茶をくれ』くらいにあっさりしている・・・生き生きした言葉の達人」と評した人もいたがね。
 でもね、人気があるなんておだてておきながら、唯一の全集、中央公論社版なんか、絶版になって久しいじゃないか。せめて復刊して、解説なんかでなく、本物のほうを読んでくれるほうがうれしいよ。


異邦人の夜
梁 石日
毎日新聞社
1800円

ヤン・ソギルは、今日の日本文学において、最も注目すべき作家のひとりなのである。一気によませる流れるような物語、エンターテイメントとしての楽しさ。大作「血と骨」はタケシ主演で映画になった。「月はどっちに出ている」「夜を賭けて」についで、三作目の映画化である。ゴホン・・・。
 フィリピンからのホステスとして売られてきたマリア、日本に帰化して木村を名乗る韓国出身の実業家、高のそれぞれの、過酷なまたは数奇な運命を描いたこの作品は、差別の現実を主題としたとも言えようが、それだけにはとどまらない。かつての敵国アメリカに迎合し、その威を借りてきたご都合主義・思考停止の結果が、今日の混迷の底流にあるのではないかとということを衝いているのである。夜は、アジアでの2000万人の死者の影となってあらわれているのである。オホン・・!
 家族に家を買ったあと、マリアは死を選び、木村はかつての父殺しを自首し、獄へと向かい、娘、貴子は、紆余曲折をへながらも、自らを在日として、コウ・キジャと名乗る。これは、アイデンティティを取り戻していく人間再生の物語なのである。これは、真の「異邦人」は誰なのかという問いなのである。コホン・・。
 著者はタクシードライバーであった。40をすぎてから小説を書いた、遅咲きの作家である。破滅的な情景を描いても、明るさとユーモアが漂う、土のにおいのするような、実に魅力的な世界をつむぎつづけているのである。
 ・・・エヘン。本日の講義終わり。コラッ、居眠りしてるのは誰だ! ナニ?、夜ふかしで疲れてた? ほかのやつらはどうした? バイトにいった? ナニ? 「冬ソナ」見てたほうがおもしろいだと!!


ハッブル望遠鏡の
宇宙遺産
野本 陽代
岩波新書
1000円

街の中はすっかり明るくなってしまったので、夜空を見上げても星などみえない。すまなさそうに、月がでていたりするだけだ。
 山に行き、夜トイレに行ったついでに上を見たりすると、星がいっぱいに広がっていて、寒さも忘れてじっとみとれていたりすることはないだろうか。今では、ひとつひとつが太陽と同じ天体であることはみんな知っているが、気の遠くなるほど離れたところにある無数の光に、神秘の思いにとらわれてしまう。
 どこまでも遠くを見てみたい、との人間の尽きることのない好奇心が誕生させた「ハッブル宇宙望遠鏡」が10数年にわたって観測してきた写真のなかから、選りすぐった書。表紙は、「猫の目星雲」という惑星状星雲。太陽の何十億年か先の姿(の候補)である。
 衝突する銀河、互いに引き合う銀河、誕生しつつある星と周りを包む星間ガスの姿。ダイナミックで色彩豊かなことに感嘆せずにいられない。
 しかし、スペースシャトルの事故以来、NASAの方針が変わり、「ハッブル」のメンテナンスがなされないことも予想され、あと数年の活動とも言われているそうである。
 そういう意味で、後世に残す遺産ともいうべき写真を集めたわけである。夜空を眺める機会がなくとも、本書を開けば、「スター」たちの中で、仕事や人生の疲れも忘れることができるかもしれない。


脳は美をいかに
感じるか
エミール・ゼキ
日本経済新聞社
3500円

ひところ人口知能だとかAIなどが脚光を浴びていたが、最近は下火のようである。(うまくいかなかったのだ)。それがどうしてだったのか、この本でわかるかもしれない。

 まず、「見るということはそれ自体ですでに創造的な作業であ」る、とのマティスの言葉を引いて、脳科学は、「見る」ことが本質的に能動的な過程であることを明らかにしたと述べ、美術作品を見ているとき脳内で何が起きているのか実例を示していく。
 例えば、脳には人の顔を区別するためだけのモジュールがあり、そこが障害をうけると、見えていても自分の顔も家族の顔もわからなくなってしまう。肖像画の実に微妙な表情も、脳の「顔知覚部位」が特異的に反応していることを脳の3次元像から示していく。
 特定の色だけを知覚する部位、四角形だけに反応する部位、特定の傾きをだけをみている部位、これらが記憶領域や判断の領域とパラレルで動作して、知覚を組み立てているらしい。特に、現代絵画−抽象画などはこれらの検証に打ってつけで、セザンヌ・モネ・ピカソからモンドリアンまで、脳の画像データをしめしながらの話は驚きの連続である。
 ゼキ先生(脳神経学者である)、時間があれば美術館を訪ね歩き、名画の前でたたずんですごしているらしい。フェルメールから、現代アートまで幅広い関心をもち、これらの画家たちは優れた視覚脳学者だったに違いないとまで考える。
 進化の過程で、このような偉大な美術を生み出すにいたった精巧な器官。「脳よ、おまえは美しい」、博士はそう言わずにいられない。


夜回り先生
水谷 修
サンクチュアリ出版
1400円

漱石『坊つちやん』、『最後の授業』、山田洋次『学校』、『蝶の舌』・・・、教師を主人公とした小説・映画も数多い。ヤンキー、そして今回は水谷先生。

先生は夜の繁華街を歩く。
顔は厳しく、少し悲しげだ。
説教せず、もちろんなぐったりはせず、出会う子供に声をかけていくだけ。
先生は夜の住人。深夜、かかってくる電話に応え、メールの相談に返事を書く。
ほうって見ないふりは、できない。
どんなことがあっても、「いいんだよ」。無限に許す。過去のことは関係ないんだ。ただ、死ぬことだけはやめろ。生きていけば必ずいい人間に会うことができるから。
数々の子供たちとの出会いとともに、先生は、自分の子供時代のことも語る。母子家庭だった山形での貧しい生活。母とも一緒に暮らせなかった孤独の日々。ようやくひとつの屋根の下で生活できるようになってからの荒れてた学生時代。先生も夜の世界のすさんだ住人だった時があったのだ。
ヨーロッパ留学。全日制高校での4年間の充実した教員生活の後、ふとしたきっかけから現在の定時制教師生活に入る。21年経った。
今、先生は夜の世界に一人出かけていく。闇は深く、怒りは大きく、顔はますます厳しく悲しくなっていくが、どんな子にも美しい花が咲く日があると、先生は信じている。
今日も、水谷先生は夜回りしているだろう。「生きてくれさえすれば、それでいいんだよ」そうつぶやきながら。


山のいで湯
「日本百名湯」上・下
山と渓谷社
各2060円

ミサカテツオ、これだけで「おお、あの方」とわかる人は秘湯通。日本の温泉を巡り、ついに3000湯を達成した伝説の人。勤務の合間をぬい、退職後もここに温泉がと聞くと、はしごで入浴に出かけた、日本列島津々浦々の湯を知り尽くした人の案内する、秘湯ベスト百の書なのである。
 1986年出版で、もう古いのではないか?そう思われるのはもっともである。確かに、宿の値段など一桁違ったり、立派な道がつき、建物も新築されと、そういったことはあるかもしれぬ。入浴剤を入れていたという関心しない温泉があったのも事実である。だがそこは腐っても鯛。時代が変わり人が変わろうとも、湯と人情・風情は、訪れた人を(あるいは山道を歩いてようやくたどり着いた人を)決して裏切ることがないのである。
 酸ヶ湯(すかゆ)、夏油(げとう)、湯の平、小谷(おたり)温泉etc. etc.(なんといい響きであることか)
 温泉マニアにはたまらない2冊なのであるが、惜しむらくは絶版なのである。だがあきらめるのはまだ早い。まずは神田神保町を探し、古本屋の主人に頼んでおけば、可能性はある。それでもなければ、当編集部あて連絡をくれれば、門外不出ではあるが相談に乗らないわけではない(かもしれない)。


日本縦断徒歩の旅
石川 文洋
岩波新書
700円

歩くのは人類の最も自然な状態である。
それ故、考える時は歩き、食べる時も歩き、眠る時も歩き・・・はしないか。
どうも適正体重をかなりオーバーしている。ダイエットも兼ねて、日本列島を歩いてみよう。
そう考えた著者。戦場カメラマンとして世界各地で取材に当たってきたが、日本再発見、自分再発見の旅へと出たのであった。
もっとも困ったのが、歩道のないトンネルの通過。すぐそばを、大型トラックが通り過ぎていく。風圧の恐怖。やむなく、トンネルの多い海岸沿いルートの変更や、蛍光色のシールと雨具を用意したり。車のための道路はあっても、ひとのための道路は少ない。
2003年7月15日宗谷岬からスタートして、日本海側を歩き、12月10日那覇ゴールインまで、150日間、一日平均30kmの徒歩の旅。地元の人との出会い、歓待。思いがけなく出迎えてくれた知人。美しい自然。各地で生活するそれぞれの人生。一方ではさびれ行く農業の姿や、爆音をのこして飛びかう戦闘機や港の戦艦の姿も。
芭蕉、伊能忠敬、西行、山頭火・・・旅の先人に思いをはせつつ、5足の靴を履きつぶし、トイレと昼食にコンビニを重宝しながら、15sのバッグを背負い、ひたすら歩き続けた、これは現代日本の縦断ドキュメンタリー。
人生は舞台だ、ドラマだ、爆発だ(!?)、いろいろだ(??)。いやいや、人生は旅だの一冊。


ブラフマンの埋葬
小川 洋子
講談社
1300円

同じ著者の『博士の愛した数式』、良かったですね。事故で、記憶できる時間が限られている『博士』とヘルパー母子の心の交流を描いた佳作。
さて、本書はまた趣の異なる、シュールで透明感のある不思議な本。宮沢賢治の世界か、キリコの絵画世界か?否、これはどこにもない世界−小川洋子ワールドの物語。

「僕の仕事を一言で説明するのは難しい。すべてをやらなければならないのだ。シーツの洗濯から、床のワックスがけ、オリーブ林の剪定まで。あるいは芸術家たちの駅への送迎から、…果ては雑談の相手まで。」
「僕」「碑文彫刻師」「娘」といった名もない登場人物の中で、ただ一人(一匹)名前を持っている『ブラフマン』君。水かきと長い胴体と尻尾を持って、行き倒れ状態で「僕」に拾われる。わが子のようにして日夜世話をした甲斐あって、やんちゃ坊主へと成長したが・・・
別荘管理人を勤める一人暮らしの「僕」と『ブラフマン』のひと夏の生活と突然の別れ。『ブラフマン』に決して近づくことのなかった「娘」は最期の別れの場にはいない。「僕」と「碑文彫刻師」と別荘滞在中の「ホルン奏者」と、『ブラフマン』を目の敵にしていたはずの「レース編み作家」の老婆が見守る中、小さな石棺に『ブラフマン』は眠る。空には流れ星が光り、音もなく氷河が割れ、時は刻むのを止め・・・。


クライマーズ・ハイ
横山 秀夫
文芸春秋
1571円

ハイ、これは怖い怖い話ですね。17年前一緒に山に行くはずだった山仲間の息子と峻嶮ー谷川岳岩壁を登っていく57歳の男。仲間はあの日、深夜の仕事中に倒れ、ついに不帰の人に。
 ランナーズ・ハイと同じ。恐怖心が絶頂まで行くとそれがマヒし、快感にまでなってしまう。それで危険なところも克服できる半面、もし途中で醒めてしまうと、すざまじい恐怖のため進退窮まってしまって・・・。
 もう歳も歳。しかも、何百というクライマーが墜落した壁に、初めて挑むーその訳は・・・?
そして無事登攀できるのか?高度を稼ぐたびに巡ってくる過去の苦い追憶。死に追いやったと自責する部下の事故。幸せであったはずの家族の中に忍び込む不協和音。あの大事故。
 その時、オーバーハングで手を滑らせた主人公は?

 世界最大の航空機惨事となった日航機墜落事件に題材をとった、スリルとサスペンス。地方新聞社の記者の人生と運命の時間の交錯を描いて息もつかせないハードボイルドな一冊。
事故の結末は? 仲間のなぞの言葉の意味は? そして男に救いはあるのか?
 これは山に仮託して人生を問うた問題作。
 ハイ、それでは、また本の中で会いましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

フューチャー・イズ・
ワイルド
ドゥーガル・ディクソン&
ジョン・アダムス
ダイアモンド社
2400円

「なくてもある」「あると言ってるからある」とウソを重ねた結果、ついに天罰を受け、人類は(一部の人間のせいで)滅亡してしまった。
これは、200年後の世界のさらにはるかに後の世界をタイムマシンで訪れた「驚異の書」。(カラーのリアルな姿が楽しい。)
 500万年後、地球は氷河期となっている。海面は150mもさがり、ホッキョクグマに代わって、牙の伸びたテンが大型肉食獣となって獲物を狙い、トドかと思えば、巨大化したカツオドリが海岸に寝そべっている。アマゾンは草原と化し、人面獣のようなサルが籠で魚を獲っているが、人類文明の痕跡はない。空に舞うのは鳥ではなく、巨大なコウモリ。
 2億年後。ひとつの大陸とひとつの海の地球に、猛烈な風が吹く。魚はもう海にはいず、空を!飛んでいる。海にいるのはさまざまに進化したエビの仲間と、発光するサメ、巨大イカ。陸でカンガルーのようにジャンプしてるのはカタツムリの子孫!象かと思えば8本足の元イカがのし歩く。そして森の中に、やはりイカから進化した道具をつかう8本足の生き物が群れを作っている。知的生命体へと進化の途上のようである。これはまるで「火星人」かのようだ。
 スルメがいい、いやイカソーメンだ、などと言っていると、「バーカ」と一喝されそうである。クワバラ、クワバラ。

二百年の子供
大江 健三郎
中央公論新社
1400円

ふだんは東京に住む、障害児の18歳の真木からはじまる、あかり、朔の3人兄弟。
祖母のいた四国の村の森の中には、大きな洞のあるシイの大木があり、そこで一夜を過ごす子供にだけは、別な時代に行けるという不思議な言い伝えがある。
祖母と夏休みを送った時に、真木は『ベーコン』と名づけた柴犬と仲良くなるが、誰も見たことがない。ベーコンを食べるので『ベーコン』・・。
ある日、3人は洞のタイムマシンで、1864年の村に現れ、犬を連れたメイスケさんという若者に会う。村の伝説となっている一揆のリーダーだ。
3人は『童子』と呼ばれ、逃散の村人と子供のために活躍するが、過去を変えることはできない。
メイスケさんは、囚われた牢の中で、「人間は三千年に一度咲くウドンゲなり!」と言って、息絶える。
犬に会いたい真木は、妹あかり、朔とともに、今度は未来に。2064年の森の中を出ると、『2001年宇宙の旅』の音楽が聞こえ、迷彩服を着た子供の大集会に参加してしまうことに。IDカードを持たない3人は不審な妨害者と疑われる。こんな世界に取り残されて帰れなくなっては大変だとあかりと朔はタイムマシンで現在に戻ってくるが、子犬を追って森に入った真木が行方不明に。
しかし、真木は「ベーコン」を連れて、無事姿を現す。

ベーコンは「知は力」と言ったが、与えられたイメージを作り変える=イマジネーションは「夢をみる人」=「童子」の力でもあるのだ。
1984年の神話と伝説の村の森を舞台に繰りひろげられる、冒険SF。『治療塔惑星』も書いている著者の自作品世界の案内図でもあろうか。
ノーベル文学賞作家による問題作。

まわれ映写機
椎名 誠
幻冬舎 
1500円

ビールの、はたまた「エドウィン」のCMに出演の怪しい男、どこかのタレントかと思いきや、なにやら文章など書いていたりする。かと思えば、アウトドアの雑誌にやたら焚き火をたいて飲み騒いでいるの図があって、何者?と思っていると、銀座で、『白い馬』という映画の上映の監督だったりする。
現代の怪人二十面相、または「平成軽薄体」の祖とも称せられるシーナの、これはハツコイの物語なのである。
おさななじみとの、青春のある日の劇的な再会と胸を焦がす日々、そして別れ。妻をめとり、平穏な毎日が始まってしばらくしてからの、思いがけない出会いに、思いは千々に乱れ・・・
すでに発車のベルは鳴る。何とこの世の定めは酷いことかと、ひしと抱き合ったままあふれる涙を拭うこともせずに、いっそこのまますべてを捨てて一緒にどこかに?
・・・などということは一切ないまま、「映画」という恋人との一切を告白した、映画監督としての椎名誠の本邦初公開のドキュメンタリー私小説、裏舞台、かつ(女ではなく)関係者を泣かせに泣かせた物語、懺悔録であるが、最終的には、映画はこう撮るんだ、どうだ参ったか、と小声で威張ってもいる欲張りな本でもある。
これは、20世紀を代表する芸術−「映画」に魅せられ、ついには自分で映画まで撮って映画館上映までしてしまった男のタダシイ日本映画の撮影秘話。

僕が最後に言い残したかったこと
青木 雄二
小学館 
1300円

ある日、新聞を見ると、 『ナニワ金融道』の青木雄二さん亡くなる、とある。事情を知らぬ者には、突然である。あの痛快な語り口がもう聞けないのか、その思いがまず頭をかすめる。
肺ガンとのこと、進行はあっという間だったようだ。
初見の、夫人と1人息子の写真が巻頭を飾る。
38にして、印刷会社をたたんで、小さな部屋を借り、細々と昔のよしみで請け負った版下仕事をこなしながら、ドストエフスキーの『罪と罰』、マルクスの『資本論』と読書三昧の日々の後、「もう一度、楽しみとして漫画を描いてみようか」「だれも僕の作品を期待して待っているわけではない。お金をくれる約束ができてるわけでもない。妻子がおらん。時間は無尽蔵にある。」ということで、「モーニング」大賞応募作品をかきはじめて・・・
42歳、名作『ナニワ金融道』で衝撃的なデビューへと続く。
異色のマンガ家(元)の、読者への別れ、「今まで、僕の作品を読んでくれてありがとう。世話になったな。」の書。


石川文洋のカメラマン人生
石川 文洋
竅iえい)出版社 740円

古来、旅を愛し、酒を愛した人は数知れない。貧乏で夢を友としているとなると、これは詩人でもある。
しかしながら、「イシカワ ブンヨウ」はやさしい風貌のなかにただならぬものを秘めているのである。
少なからぬ日本人カメラマンが帰らぬ人となった、ベトナム戦争の写真報道を続けて、生きて帰ってきた人でもある。
20代の、戦場での4年間は、他のどの時にもまして濃密な時間であり、生きている実感を持ち、その後の人生に影響を与えたとのことである。敵味方に分かれて戦わざるを得なかったベトナムの人びとに寄せる気持ちは深いものがある。今も、写真集を贈ったりの交流が続く同地に赴くと、絵葉書や宝くじを売りに来る子供たちを断わることがないのである。
妻と死に別れ、雑草庵と称する信州の住まいに一人暮らしをして還暦を迎えた頃に、思いがけずも若い女性と再婚することに(「貧乏と夢」編)。そんなに悪いものでもない、と多少照れたりもしてたりする。故郷沖縄に自分の写真展示館をつくろう、「夢を持っていればいつかは実現する」と、フリーカメラマンの石川文洋は語り続けるのである。