ぽぽろしんぶんTOP PAGE
難行記  2004/8 39号
<北岳難行>
 小生としては自信がなかったのですが、7/16から白根三山に。テント泊まり三泊四日の行程で重いザックを肩に、前日一睡もせず鳳凰三山を背中に、大樺沢コースを一気に登り北岳山荘へ。
 翌日、濃鳥岳を目指したのですがガスと風が強く間ノ岳で引き返し、北岳山頂付近の尾根では風速40-50メートルの突風が吹き荒れていまして、まさに必死の行軍となりました。四肢で地面を掴む体験は始めてて、それは怖うございました。
 肩の小屋の混雑振りに愛想を尽かし、一気に車を停めた広河原まで約7時間をかけて下山すると、とっぷりと日が暮れておりました。疲れた体にムチ打ちテントを張るとやまない雨が降り出し、眠いはずなのに、泡盛片手に、つきぬ話を肴に午前様。
 翌日目覚めると、体力の限界を超えた広河原の下山が響き、足・腰・肩が痛くて歩行が困難でした。南部村での湯治がありがたかった事といったら、それはもう天にも昇る心地でした。めでたし、めでたし。
 東京に戻り、痛みがとれると、また新たな登山計画が持ち上がりました。9月は中央アルプス南部踏破をめざす予定です。

中央アルプス登山
   
2002/9 29号より



 お盆過ぎとのことで、登山客が少ないのではと計画をたてたのですが、この夏の天候が悪かったせいで、どっと登山客が繰り出したようです。そんな盛況からか、1日目菅の平から臨時の1 番バスに乗れ、それに合わせロープウェイもあわてて出てくれました。Pカンの青空の下、千畳敷カールを登りましたが、遠足前の睡眠不足と準備運動不足のためか早いペースについていかず心臓バクバク、腰はガタカタとへばってしまい一時動けなくなってしまいました。それでもなんとか1日目の宿泊先の宝剣山荘に荷物をおいて、伊那前岳の先まで往復。一休み後、木曽駒ヶ岳往復。明日の強行軍の準備は整いました。その夜は6人部屋を4人で、羽根フトンで手足を伸ばして寝ることが出来、早い秋の夜長を楽しみました。
2日目は宝剣山荘→宝剣岳→極楽平→大滝山→熊沢岳→東川岳→木曽殿越と地図にはない岩場の標高差をアップダウンし南下しました。八ヶ岳・南ア・富士山・御嶽山・北アと縦走路は360度の展望で、谷からの気持ちよい冷風を受けながら1日中望むことができました。この夜は若干地獄の木曽殿山荘で泊まったのですが続々と登山客が集結し一枚布団に二人という窮屈さで、まんじりともせず夜を明かしました。
さて、3日目は木曽殿山荘→空木岳→小・大地獄→池山避難小屋→ 菅の平と下山路。強風とガスの中、空木岳を登る。駒峰ヒュッテまで下ると天気は徐々に良くなり、空木岳小屋のテラスで余裕のコーヒータイムとしゃれ込みました。檜尾尾根の向こうに宝剣岳が望める。駒石から振り返ると空木岳がダイナミックに見え、三日間の数10キロ渡る縦走路を俯瞰し「好き好んでよくもまあ歩いてきたなあ」と「良く歩いた自分を褒めてやりたい」などとつぶやきながら四人ともそれぞれの感慨に浸りました。それからは長くて勾配の強い樹林帯を疲れた足をかばいながら無事に登山を終え、駐車場に再開した中年夫婦と万歳三唱、近くの温泉で三日間の汗を流した後のビールがおいしかったのなんのって。
だから、登山はやめられないということで、次回も中央アルプス第二段:摺古木山・安平路山・南木曾岳・恵那山へのチャレンジを計画しております。

荒川三山
   2001/8 8号より

晩 秋
    2002/1 21号より

荒川三山は、最後の日に天候に恵まれ素晴らしい山の
日々を美しくすることができました。
富士山は勿論、北の霊峰群も仰ぐことができ、中岳を除き
千枚、丸山、悪沢岳を踏破し、山行の途中では、様々な
高山植物、峰伝いでは猿や雷鳥の親子にも遭遇することが
できました。
 装備では、いろいろなアドバイスのひとつひとつが我身に
感じました。特にリュックは、借りることができたから良かっ
たもののスキー用では背中が痛くてだめでした。周りの人の
装備に助けられたところで晴れて山岳会の一員になれました。

 あああ、やっぱり山に魅せられてしまいました。