心の中の南アフリカ @ 喜望峰 2006年10月号
H.I.

 こつこつとささやかな仕事を続けてきて食うのがやっとだった人間が、ある日、「ああもうこんな人生はもうたくさんだ、なにもかも放り出して、知ってる人間のだれもいない所に行ってしまおう。一度でいいから、違う世界で思う存分に息をしてみたい」
 そう考えて、どこか遠いところにでかけたとしましょう。ところが、そんな外の世界は初めてで、勝手もわからずにとまどっているところに、「お一人ですか?」と声をかけられ、一緒に食事の席に着き、若い日の出来事とか旅の思い出とかを語ってくれて、酒まで一緒に飲んだ人がいたとします。朝食でもバスのなかでも、旅の間、ずっと話し続けることになったような人がいたとしましょう。そんな人がいたら、きっと景色は違って見えてくるでしょう。そうして、「もう少し、旅してみてもいいかな」、その人間は思ったかもしれません。そんな人に出会ったら、ぴったりの言葉はないけれど、旅の「師匠」と呼んでも、あながち間違いとは言えないでしょう。

 そんなことが、あったかもしれません。なかったかもしれません。ある日、私にも「師匠」があらわれて、こう言ったのです、「南アフリカに行こう」。
 
 そうだ、何から話しましょうか。最終日の、快晴の喜望峰にしましょうか?
 その日は、荒れることもあると聞かされていたケープ半島は雲ひとつなく、バスからは美しい海岸線が見えていました。きれいな船がたくさんつながれている港からは、アザラシのいる岩礁へのクルーズ船にも乗りましたよ。
 アフリカ大陸の最南端ではないけれど、インド洋へと渡る船乗りたちの目印となった喜望峰は、ケープポイントという、灯台のある丘から、青い海の中へと伸びていて、あとはみんなで、海沿いの山道のようなところを歩いていくのです。喜望峰の突端につく頃、午後の陽は大西洋のほうから柔らかな光を投げかけていましたっけ。その陽の方へと下っていくと、大きな昆布がたくさん打ち上げられている海岸へと着きました。寄せては返す波。海の水にそっと手をつけてみて、そうして深呼吸してみる。
 アパルトヘイトの中で、27年間獄にとらわれていた人が、ついには大統領になった国の、近くにはケープタウンという古くからの街がある半島の一角で、師匠と私と、そして飲み友達になった人たちとの、旅はもうすぐ終わろうとしていて・・・。
 その夜、ケープタウンの夜景を見に行くと、見上げた夜空には、また、南十字星が見えていた・・・、そう、そんなことを、もう少し話してみることにし

喜望峰を望む−ケープポイント


アザラシ島へのクルーズ船から
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