上海・蘇州への旅(上海編 その4) 上海・蘇州への旅(蘇州編)

中国と日本を直接結ぶ空路は、まだまだ少なく、思いつくままに挙げてみても北京、上海、大連、天津、青島、西安、広州、深?、昆明、重慶、哈??瀋陽、長春、武漢、南京、杭州、福州、煙台、桂林、成都、厦門、海口…このくらいしかありません。それ以外の地に行くためには、当然のこと乗り継ぎということになります。もっとも上記の地でも、成田から飛べるとは限りませんので、その場合は、やはり乗り継でいくしか方法はありません。

 蘇州は上海経済圏の田舎町なので、そこへたどり着くためには、上海から列車に乗り換えるしか手がありません。

そんなこともあって、行きと帰りは上海に泊まらなければならないというのが、この旅のネックでもあります。
もっとも、そうした不自由さも海外旅行セットのようなものなので、慣れてしまえば、それなりに楽しんでしまえる部分でもあります。我々もこうした状況の中、行きがけは「教育賓館」(陝西南路駅から徒歩10分程度)という、本来なら教育関係者が宿泊する安宿に宿泊できるよう便宜を図ってもらい、帰りがけは新黄浦酒店公寓(人民広場駅から徒歩5分)という、ちょっと高級なホテルを取ってもらうことにしました。

中国のホテルは部屋を借りるという考えですから、基本的に1室2名というスタンダードな宿泊の場合、1名で泊まろうが2名で泊まろうが料金は同じです。エキストラベッドを追加する場合は、有料になるケースと、無料で扱ってくれるところとがあるようで、これにはいささかの交渉力が要求されます。

新黄浦酒店公寓は、ビジネスなどで長期滞在を目的とする外国人対象のホテルで、厨房設備も完備していて、自炊もできるようなホテルです。28階建の高層ホテルで、22階の部屋に泊まるようになりました。ちなみに喫煙、禁煙の別によって部屋が異なります。

 

 右側の写真はホテルの窓から足元を見下ろして撮影したものです。

 上海のど真ん中、人民広場から歩いても5分のところですが、高層ビル群の谷間に、ひっそりと開発から取り残されたようなあばら家が建ち並び、そこに貧しい庶民の暮らしを垣間見ることができます。

目線を下げていくと、こんな感じで商店街が並んでいます。比較的整然とした様子で撮れたのはラッキーでした。

 南京路や人民広場といった繁華街にも近いのですが、庶民の生活の場はブランド・ショップとは無縁の、こうした昔ながらの商店街にあります。マーケットに立ち寄ってみると、日用品や生活必需品が思ったより安く手に入ることが分かりました。

 女房殿はホテルの直ぐ側に美容院を見つけて、夜、「ちょっと行ってみる…」と出かけたまま、一向に戻らないので、心配して覗きに行ってみると、「安かったから…」と言って、暢気にパーマまでかけてもらっていました。

もちろん、ホテル内にも美容室があるのですが、フロントの女性に尋ねてみると、彼女もその店のご常連のようで、「技術も心配ないわよ」と笑っていました。

 ホテルから上海書城へ向かうには、人民広場駅とは逆に河南中路駅方面へ高速道路下を潜って(歩道橋が一般道路を跨ぐように渡され、その頭上を高速道路が走るような構造になっています)5分程度かかります。

  下の写真は、夕方になってホテルへ戻るときに、ハイウェイの下を潜る前に夕日を狙ってシャッターを切ったものです。

1日だけ仕事のために会社訪問をしましたが、特にこれといった用もない旅行でしたので、毎日を書店巡りなどでブラブラと過ごしてしまいましたが、考えてみれば、日本では年末年始の休暇中なのですから、のんびりした旅でも良いかな…と、自分でも納得してしまった旅でした。 


長々と上海ガイドをしてまいりましたが、次回からは蘇州紀行にしようと思います。

 上海駅から列車で約1時間。蘇州は“?林”の町。中国の水郷でもあります。

左の写真は人民広場付近の様子です。サムスン電子のサインボードが一際目に付きます。

 目を後方に転じれば、これが広場かな…と思われる緑地がありますが、このちゃちな公園もどきを人民広場と言っているとは思えませんので、何となくこの一帯が人民広場なのだと思うことにしました。何せ地下鉄の駅ですので、実態が地上からは目に入らないようになっていて、何とも説明のしようがありません。

上海・蘇州への旅(上海編 その3)

 上海の歩行者天国“南京路”は人民広場から浦東にかけての人気スポットで、多くの観光客がつめかけます。

 歩行者天国の中を、ミニチュア路面電車が走っています。端から端まで歩くのが面倒な人や、物珍しさを喜ぶ人たちが利用するのか、人気があるようです。いろいろなスタイルがあって、それぞれ全面広告付の宣伝カーのようなので、動く広告塔になっています。


 
上海では最近になって“喫茶店”がブームを呼んでいるのか、上島珈琲が目抜き通りの上海置地広場の向かい側に大きな店を出しています。
喫茶店が珍しいということなのか、利用者に旅行客が多いせいなのか、コーヒー1杯35元くらいだったかな…? それだと、2人で70元ですから、近くにある行きつけの海鮮レストランのお昼の飲茶(2人で満腹になって66元だった)より、かなり割高な気がします。
ただ、広々ととった座席のゆとりは、高級感も味わえて、上島珈琲ならではの味も楽しめます。中国で飲むコーヒーは、どうも美味しく感じられなかったのですが、ここはお勧めでした。

 
 
南京路と平行して走る福州路沿いに、「上海書城」があります。我々も初めて訪れる新名所です。
 福州路には外国書籍を多く扱う「外文書店」もあり、美術関連、音楽関連などの書籍を扱う専門店など、ちょっとした本屋街のイメージもあります。
 
 河南中路駅付近で聞いたら、「そこを曲がって、しばらく行けば、嫌でも分かる…」と教えてもらい、歩いて行くことに…。
 はてさて、行けば分かる…(?)、どこかなぁ〜。と、ふと見上げると大きなビルの中腹に「上海書城」と大書されているではありませんか。
「あった!」
 27階建のダイナミックな建物、6階までが書籍売り場で、7階は展示室となっている。広々豪華な本屋さんです。
エスカレーター脇の縁石のような部分や階段など、腰掛けられそうなスペースは、満員の盛況で、朝からず〜っと読んでる…みたいな人や、ノートを広げて、しっかり書き写しながら、友達と議論し…図書館代わりに利用する人まで、中国は今なお英雄豪傑の国柄なのです。日本だと、意地悪なおばさんがでてきて、わざとらしくハタキをかけたりして、不埒者を追い払うのですが、ここでは、そんな阿漕な真似はしないようです。
 欲しい本をここで探して、「船便でよいから送っちゃおう…」と目論んでいたのですが、送料を聞いてみると、「5キロ毎に180元だよ」という返事。20元、30元の本を集めて、そのたびに180元の送料を支払うということの不条理に耐えかねて、3元で簡易のキャスター付バッグを購入して、めでたく持ち帰ることになりました。
 中国では、言葉の逆輸入が起こっているようです。日本人では気がつきにくいのですが、「親子(教室)」だとか「写真」、「……中」(準備中とか食事中といった場合の“中”の用法)という表示を、上海書城の中で、女房殿が発見して教えてくれました。これらは本来の中国語表現にはなかったもので、日本から逆輸入されたもののようです。日本から戻った中国の若者が便利な表現だというので、広めたのかもしれません。
 まだまだ、探せば面白い発見があるかもしれませんが、今回の旅行ではこのくらいしか気がつきませんでした。

 中国の現状が1971年の日本に似ているという話があります。人民元が固定相場制となっていることに関する話ですが、かつて1ドル360円という時代から、高度成長というレールを駆け抜けて1ドル100円という時代を迎えた日本と、現在、目覚しい経済成長を続ける中国とをオーバーラップさせて眺めてみると、どうも1971年当事の事情にそっくりあてはまりそう…ということなのでしょう。
 1954年の皇太子ご成婚、1964年の東京オリンピック開催という、ホップ・ステップがあって、1971年ついに変動相場制となって、海外旅行ブームへとジャンプしたわけです。中国も市場経済原理の導入から加速度的に発展を続け、固定相場制への懐疑論が取沙汰されています。「元の切り上げ」問題です。
 日本とは逆順になってしまいますが、追い討ちをかけるように北京オリンピック、上海エキスポの開催と続きます。中国が大ブレークする日も近いと、何となくそんな予感がしませんか?
 そうした潮流の必然を敏感に読み取ったブラックマーケットの紳士たちが、元の切り上げを見越して、バブルを操作しているという図式が浮かんできそうです。現地で生活している人たちは、インフレで生活しにくくなっているとこぼしています。

 
上海の夜を歩いていると、モノスゴイ熱気を感じます。“活気がある”という感想も耳にしますが、彼らの持つハングリーな部分やバイタリティーのようなものは、日本人がとっくに忘れてしまった“情熱”のようにも思えます。惰性で流されているような生活ではなくて、明日はヒノキになってやろう…というひたむきな向上心みたいなものが、その目や顔に横溢しているような気がします。中国へ行って、何気なくすれ違った瞬間に、「あっ! 今のは日本人だ!」と見分けられるとしたら、そうした目つきや顔つきに違いがあるのではないかと思ってしまいました。
 安全神話などという“ぬるま湯”の中で、太平楽を決め込んでしまっている日本人が、とっくに失ってしまったものが、中国では輝きを失っていないということなのかもしれません。

上海・蘇州への旅(上海編 その2)


上海は北緯31度に位置し、日本でいうと鹿児島あたりに相当します。東京よりも南に位置しているので、温暖な気候かと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、上海の気候は、温暖とは程遠く、「夏はとても蒸し暑く、冬はマフラーも凍りそうなほど寒い」という寒暖が厳しいものです。それでも、雪が降ることはめったにありません。

 そのめったに降らない雪に遭遇した我々は、果たして運が良かったのか、はたまた悪かったのか…
「上海で雪が降るなんて…珍しいね!」

「そうだね」

そんな会話があった翌日、東京でも久々に年の暮れに雪が舞ったということでした。

 上海の地下鉄ネットワークは、東京に比べるとちゃちなものですが、安くて便利で、誰もが手軽に利用する交通手段のひとつです。



上の図と写真はネットからの借り物です。右上は自動券売機で、2元、3元、4元の3種のチケットが買えます。コインさえ手元にあれば言葉は不要です。

 ただ、使い方は日本と逆で、金額ボタンを先に押してから、金額分のコインを投入します。金額は路線図で現在地から目的地までの金額を確認すれば良いのですが、旅行者にとっては、自分の希望する場所の最寄駅がどこなのか…ということの方が大問題で、どこまで乗っても4元(50円前後)なのですから、あまり細かいことは気にせずに、のんびり構えた方が良いかもしれません。我々も、うっかりコインを先に入れてしまい、いくら購入の金額ボタンを押してもチケットがでてこないので、故障かな…と思いながら、しばし立ち往生してました。チケット購入の際には、注意書きをよく読み、正しい手順に従うようにしましょう。

出てくるチケットはリサイクルできるプラスチックの名刺サイズのカードで、コマーシャルを刷り込んだカラフルなものも出てきます。2元のカードを未使用のまま土産にしました。ちなみにコインを切らしてしまった場合は、ちゃんと切符販売窓口がありますので、そちらで購入できますよ。

上の中央の写真は改札入場口です。右上のカード差込口からカードを入れると、2本バーが回転し、通り抜け可能になる欧米形式です。見張り番は誰もいません。皆さん、チケットを入れては、機械的に通り抜けていきます。

 上海の地下鉄はなぜか地上を走るケースがままあります。地下掘削より地上敷設の方が安易ですから、そうできる区間は、そのように対応したのかもしれません。明珠線(地下鉄マップのオレンジのライン)は地下鉄といいながら、すべて地上を走るという地下鉄のようですが、今回のスケジュールの範囲では乗る機会がありませんでした。

 IT先進国の中国の面目躍如たるところは、地下鉄構内のどこでも携帯電話の電波が届くことですね。地下に潜ってしまったので、「電波が届きません」というような心配は無用です。その代わり、平気で車内でも携帯電話のやり取りがあって、うるさいのも中国的かもしれません。

 座席はすべて公園のベンチ並みのプラスチックなので、座り心地は悪いです。移動時間が短いので、我慢しているのでしょうか? 列車には軟座、硬座という区別がありますが、こちらは、すべてクッションシートで座り心地もまあまあです。

乗り物の話のついでにタクシーのことにも触れておきましょう。

 タクシーを拾うのは世界共通で、手を上げれば、目ざとく見つけてくれて、ちゃんと寄せて止まってくれます。歩道の縁を黄色のペンキで塗られている場所では、タクシーが止まりません。この点だけ気をつければ大丈夫です。

 タクシーはだいたい初乗り料金が10元で、運転が乱暴なことさえ我慢できれば、日本では考えられないほど安くて、便利です。路線バスを利用するのが最も安上がり(乗車区間にもよりますが2角もあれば十分な場合がほとんどです。角は元の10分の1なので、まさに1円2円の世界です)なのですが、これは地元民並みに路線に習熟しないと、迷子になってしまいますので、旅行者の方にはタクシーがお勧めです。しかし、中国語はちょっとした発音のミスが命取りになってしまうこともありますので、言葉に自信がない場合は、目的地などの住所なり名称なりをきちんと紙に書いて、運転手に見せるようにした方が無難です。また、長距離で利用する場合には、あらかじめ単価交渉をした上で、タクシーを利用することをお勧めします。

 タクシーといえば、中国のタクシーは運転席がプラスチック・ボードでガードされています。乗客に後ろから暴行される危険性を少しでも排除しようという意図が伺えます。その点、日本はまったくの無防備で、少しは見習った方が良いかもしれません。こういうところだけ“安全運転”になっているのが面白いですね。

上海・蘇州への旅(上海編

「ゴールドマン・サックスが言い出した“ブリックス”って知ってる…?」な〜んて聞くと、新しい化粧品の宣伝かと思ってしまうおば様たちもいるかと思いますが、賢明なポポロ市民は、その何たるかをご存知のことでしょう。
 次世代世界経済の牽引役 Brazil ,Russia,India,China の頭文字を繋げて“BRICs”。新経済大国とも言われ、先進7カ国に脅威の影を落とす存在であります。
 人口だけをとっても、中国13億(世界1位)、インド10.5億(世界2位)ブラジル1.7億(世界5位)、ロシア1.5億(世界7位)を合わせると、世界人口62億に対し、43%となり、たった4ヶ国で世界人口の約半分を占めていることになります。これは凄いことだと言わざるを得ません。
 英語文化ではCIRBsというスペルはありえないのでしょうが、その経済成長振りからすれば事実上は
BRICsの逆順での脅威論が囁かれているところです。
 こうした事情を踏まえて、中国という国を改めて眺めてみると、国土は日本の26倍もあって、天然資源も豊富だし、このまま成長を続ければ…4年後にはドイツを越え、10年後には日本を凌駕し、30余年後にはアメリカをも抜きさるであろうという予測も、まんざらありえないことではないと納得してしまうものがあります。

 そうした中国の躍進振りを如実に具現している街が上海だと思っていただければ、ここ数年での上海の変貌と成長がご想像できるのではないでしょうか。
 2002年6月に浦東空港が上海での国際空港になったことで、それまでの虹橋空港は国内空港の窓口に変わりましたが、市内に巨大な空港を東(浦東)と西(虹橋)に持ち、人口:1464万人、面積:0.62万平方キロ(熊本県よりちょっと小さい程度かな)を有する巨大都市が上海です。
 もっとも一般観光客が訪れる“上海”は、中心街のごく一部の地域でしかないと思います。中国には世界遺産が数々あれど、上海には何もありませんから、観光し損ねたと悔しがることはないかと思います。
 この街では、下手にショッピングに歩けば偽ブランドを掴まされるのがオチですから、歩行者天国の南京路やブランドモールの淮海路、古き上海の豫園、人民広場周辺の新世界、そして、最近話題の新天地、夜ともなれば恋人同士が語り合う外灘…こんなところで、上海の気分を味わえばよいかと思います。
中国のアキレス腱は電力不足だと思われているにもかかわらず、中国を訪れた心ある人たちは、一様に首を傾げながら帰ってきます。
「電力不足は、どこへ消えてしまったんだろう…?」
夜の南京路は煌々としたイルミネーションの洪水に溢れかえっています。ラスベガスの街にも似て、まばゆいばかりの光に満ちています。
 摩天楼が睥睨するように見下ろす街 上海。2000年の歴史を見たければ西安を訪ね、500年の歴史を知りたければ北京へ行け、100年の歴史をみるなら上海を見よ! 中国ではそう言います。
明日の経済大国 中国のまさに中心的な存在がここ上海です。

ITで誕生した新富豪たちが豪邸を構える一角があります。春節商戦ではプラズマTVが大人気だとも伝えられています。携帯電話の普及もそうでしたが、珍しくて、便利で、ステータスを誇れるような商品には、すぐ飛びつくのも中国的かもしれません。中国では自分の家を持てるようになりましたが、土地は国有財産です。ですから土地バブルは起こらないのですが、今は(少し沈静化しつつありますけど)マンションバブルで、マイカーブームも到来してきたようです。最大のステータスは、やはりベンツなのですが、日本車も人気があって、中国では高値の花です。
インフレがどんどん物価を押し上げて、生活も楽ではないと思いますが、日本人が遊び感覚で行く分には、「安い!」でしょうね。お昼に飲茶を二人で満喫して66元(現地レート 元=12〜3円)でした。


外灘(バンド)

東方明珠広播電視塔
上海・蘇州への旅(上海がに編



上海・蘇州にのんびり滞在して楽しんできました。

我々が行く直前から寒波が来て、寒くなったという情報が飛び込んできましたが、ちょっと寒い程度で、東京近辺の気候とそれほど変わりはありません。
ただ、12/30夜に上海で雪が降り、上海で雪が降るのは珍しいという話をして過ごしていたら、東京でも大晦日に雪が降ったというニュースを聞いて、上海から1日遅れの雪だな…と、こんなところに時差を感じさせられました。

今回の中国への旅の大いなる目的の一つは、“上海蟹”でありまして、友人とはかくもありがたいもの…というか、何と言うか…絶句。

バスタブにネットで包んで、ごっそりと蟹を仕入れておいてくれて、毎日の食卓に蟹が供される特大豪華版の歓待を受けました。ホンネのところ、時期外れになってしまったので、蟹は諦めていたのですが…まだまだ出回っているようでした。お値段は聞きませんでしたが、向こうの食材としては非常に高価なものだったろうと推測しています。
これは私も浅学にして知らなかった驚愕の事実なのですが、一口に上海蟹と言ってしまっていますが、実は上海で獲れるわけではなくて、ホンモノの上海蟹は?澄湖(蘇州と昆山の間にある湖)で獲れるのが極上とされていて、これは特権階級の極一部の人たちの口にしか入らないそうです。

まれに?澄湖産の上海蟹といって売られているものがあるのだそうですが、これは太湖などで獲れたものを20日間程度、?澄湖で仮住まいさせたニセモノだそうです。

 ※ ?澄湖の水質は蘇州近辺の他の湖のものと異なっていて、特殊な藻が生息しているそうで、ここの湖で獲れる蟹には体全体に、その藻が付着するのだそうです。あまりにニセモノが横行するので、?澄湖で獲れた蟹に番号札をつけるようにしたのだそうですが、それも真似されてとにかく海賊版を作成することにかけては抜け目のない国民性ですから何をしてもニセモノが後を絶たないそうです。
そんな経緯もあって、我々が口にするのは太湖で獲れた上海蟹ということになります。広義に解釈すれば上海蟹 = 上海経済圏域で獲れる蟹ということなのでしょうか?
それにしても、毎日ドッサリ食べさせてもらって太湖の蟹がいなくなってしまうのでは…と、心配してしまいました。

※ 太湖はその名の通り大きな湖で、面積は2400?で、琵琶湖の3.6倍もある淡水湖です。

写真はその直後に蒸し器にかけられて、食卓に上がる前の状態で、赤いポリバケツに入れられた哀れな生贄の蟹さんたちです。1日分毎にネットに小分けしてバスタブに保管し、調理する前の日から水を張ったポリバケツに移し、泥臭さを抜いてくれているようです。その赤いポリバケツの中でゴソゴソやっているところを撮影しました。調理のコツも何もないそうです。ただ蒸して、熱々のところを食べればよいそうです。

料理番組ですとその味について、いろいろと仔細に表現して旨味を伝える所なのでしょうが、ここは一言『美味い!』 に尽きました。
食べたのが蟹ですから、“目から甲羅”のような気分で、日本で食べさせられた「上海蟹」は一体何だったんだ!?…という素朴な疑問に直面してしまいます。
知人にも「上海蟹を食べたけど、食べるところもろくにないし、美味くもなかった。」と言っている人がいます。
今なら、はっきり言えると思います。「それは上海蟹ではない」と。




清里行



野辺山高原にて

お盆の帰省ラッシュの中、妹夫婦らと“清里”に行ってまいりました。
12日は出発した直後から、山中湖、河口湖と抜けていくまで、猛烈な渋滞で、早く到着して向こうでブラブラしながら、時間を潰してチェックインしよう…などと気楽な気分でいたのが、すっかり予定が狂ってしまい、「まだ山中湖畔をノロノロ走行中…」などと宿に連絡を入れて、さらに、その後で「夕食は遅らせて7時頃にお願いできますか…?」「顔見てから食事にしましょうね!」というような始末。
結局、到着したのが8時少し過ぎた頃。トホホ!

14日の帰りは、10時にチェックアウトして、勝沼で“ぶどう狩り”に立ち寄り、途中昼食で寄り道しながらも相模湖までは順調に2時前に到着。さて、今日はゆっくりできると思いきや…。ピタッと止まったきり、蝸牛よりも鈍いスピードで、超ノロノロ。家に帰り着いたのが6時過ぎでした。約64Kmに4時間かけた計算になりますね。


平塚の風景



先日、我が家の前で一服しておりましたところ、ご老人が散歩で通りかかりまして、手に持っておられた小枝(径10mm程度で長さ約1mほどのもの)を見せて、
『メジロの止まり木に丁度いいでしょう』
と言われたので、鳥の話になってしまい、私がカワセミを見かけた話をしましたら、専門家が撮られたというカワセミの4切り程度の写真をいただいてしまいました。
平塚でもこんな鳥が見られるという話でした。



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