酒とバラとドラキュラの日々  Dドラキュラ・レストラン    2011年4月号
H.I.
 

 ルーマニアを訪れる観光客のトップはイギリス人だそうな。考えるに、、19世紀末のアイルランドの作家ストーカーの吸血鬼ドラキュラがイギリスで大人気となったからであろう。そんなこんなで、ルーマニア入りした後は、ドラキュラ伝説ゆかりの地を巡る旅ともなった。

 ラテン系の国、古代ローマ人による建国の歴史を持っている国。かつてチャウシェスクの下で、社会主義国でありながらも独自路線で欧米とも近い関係だったが、国内的には横暴な政治であったようだ。北朝鮮の平壌を訪問して、高層ビル街を見たチャウシェスクがブカレストもそれに倣って首都改造をすすめて、「国民の館」なる大建造物を作るが、周辺の住民は立ち退きを迫られ、国民生活はとみると、電気・ガス・水道などの欠乏で苦しいものであったらしい。

 そのうらみつらみが、東欧変革の波のなかで、弾圧と流血事件のあと、チャウシェスク処刑へとつながったのだろう。ブカレストには、数百、数千人以上とも言われる弾圧の死者を悼むモニュメントが建てられている。

 このへんは、地元の日系ガイドさん、アツシさんの言による。ルーマニアは知られざる音楽大国とのことで、声楽の修業に当地にきて、大恋愛(?)の末、歌手の奥さんと結ばれ、しばらくは左うちわの生活だったが、奥さんが仕事を辞めてからは、ガイドをはじめいろんな仕事で食っているとか。ともかく、みんな真面目に仕事などしないお国柄で、高速道路など1000キロを超えるものができるはずが何年たっても数キロしかできない。政治家の95%は汚職に手を染めていると、手厳しい。

 しかし、夕方ともなると、広場にはテーブルと椅子に人があふれ、にぎやかである。

 シナイアのペレシュ城を経て、ブラショフ、そしてシギショアラへ。

 ドラキュラ伝説のモデルとなった実在の人物、ヴラド・ツェペシュの生家がある街。気性も荒く、串刺し候とも呼ばれることになったが、オスマン・トルコに抵抗した救国の英雄でもある。しかし、なんといっても、架空の吸血鬼ドラキュラ伯爵は、衰えぬ人気である。美女の血を吸い、コウモリとなって飛び回る。いずれの人にもある、変身願望のヒーローなのだ。

 シギショアラでは、その人気者にあやかった「ドラキュラ・レストラン」で昼食。血の滴るような肉・・・などはなくて、暑かったのでビールとした。夏には、吸血鬼は似合わないようだ。



 ペレシュ城(シナイア)


 ドラキュラ・レストラン(シギショアラ)
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