紹介図書
・ 被災地の本当の話をしよう 戸羽 太 2011.09 100号
・ 宇宙開発と原子力 五大 富文 2011.08 99号
・ 今こそ、エネルギーシフト
飯田 哲也 鎌仲 ひとみ 2011.07 98号
・ 指揮者の仕事術 伊東 乾 2011.06 97号
・ ビッグイシュー日本版 2011.05 96号
・ バウドリーノ ウンベルト・エーコ 2011.04 95号
・ あいさつは一仕事 丸谷 才一 2011.03 94号
・ 食卓は学校である 玉村 豊男 2011.02 93号
・ チェーホフ短編集 沼野 充義 2011.01 92号
・ 風天 渥美清のうた 森 英介 2010.12 91号
・ 君たちに明日はない 垣根 涼介 2008.12 90号
・ 鼻/外套/査察官 ゴーゴリ 2008.11 89号

ワニブックス【PLUS】新書
\760+税

 地震と津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の市長の語る、3・11。新市長になって1月後に被災。愛妻は後に遺体となって見つかった。自宅も失い、「市役所」の給食センターに寝泊りして山のような仕事をこなす。体育館は遺体で溢れ、がれきは片付かない。国と県は法律や手続きをタテになかなか動かない。「国がやってくれないなら自分たちで」と、市民とともに新しい陸前高田作りをめざす。復興に10年かかるだろうが、被災地を忘れないで応援してほしいと結ぶ。

http://www.soranokai.jp/
  宇宙開発・研究にあたってきた著者が、敗戦後研究を禁止されていた宇宙と原子力がともに1952年サンフランシスコ平和条約から出発した事を振り返りながら、一方(原子力)は「大輪のきれいな毒花」に、宇宙開発は「実も小さな、清楚な憧れの花」になったのだとのべ、ビッグサイエンスたる原発の安全軽視とプロパガンダに違和感と厳しい批判を投げかける論考。他国にない、地震の震源地に原発を立地する異常と、「安全に対してもっとも重要な基準がじつにあやふやなことに驚くばかりです」と、未成熟な技術であることを忘れた驕りへの根本的な問いをなげかける。公開が徹底され、不具合、失敗は詳細に報道されるが、社会を脅かすような危険はまったくない小予算の宇宙開発と、年間広報費だけで2000億円の原子力・電力業界の違いは、安全に対する根本思想の問題だと喝破する。


岩波ブックレット
500+税
 これが日本屈指の大会社の姿なのかと、東電・九電の大失態を見ていて驚きとともに、恥ずかしくもなる。原発一基5000億円と言われる大プロジェクトであるから、蜜に群がるアリのごとく、金権をむさぼってきた有象無象があまたいるのであろう。独占かつ、電気料金には全ての経費に数%の利益を上乗せできる(総括原価方式)とあれば、原発は作れば作るほど利益が出る。麻薬である。なんとしても原発再稼動を、と禁断症状でヤク中患者が叫んでいる図である。
 原子力発電が安価と言う論は、すでに事故前から虚構であったことを、小出さんが講演で明らかにしている。スリーマイル原発事故後、アメリカではコスト的に合わないため新規原発は作られていない。まして、一旦事故がおこれば、被害と損害は取り返しがつかない。
 原子力発電と最新技術のように聞こえても、巨大な蒸気機関であり、3分の2は環境中に排熱する非効率なシステム。地球温暖化対策に逆行する、時代遅れの現代版フランケンシュタインの怪物。
 ズルズルと原発を稼動させ続ければ、スペースシャトルのように、2度目の大事故は避けられないだろう。石橋さんの警告のように、それは破局となるだろう。しかし、賢明な選択をできる力を、私たちは持っているはずだ。自然再生エネルギーという未来は遠くない。

小出裕章『原子力の専門家が原発に反対するわけ』
(2011年3月20日、山口県柳井市での講演)
http://bit.ly/hnBKJj (YouTube):PDF版もあり。

石橋克彦「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」(2005/2/23衆議院予算委員会公聴会で原発震災を強く警告)
http://www.stop-hamaoka.com/koe/ishibashi050223.html


光文社新書刊

 クラシックの音楽会に行くとオーケストラの一番前のいい場所にいて一生懸命に指揮棒を動かしているのが指揮者です。
 しかし、よく見ると演奏者のほとんどが指揮者を見ているわけではありません。それはそうです。目の前にある楽譜を見て演奏しなければならないのですから、指揮者のことをゆっくり見ている暇はありません。
 では指揮者は何のためにいるのでしょうか。何をすることが役割なのでしょうか。そのことをじっくりと解説しているのがこの本です。
 この本を読んで指揮者の役割を100%理解したわけではありませんが、なんとなく何をしているのかわかったつもりです。
 指揮者が動かす指揮棒の動きを録画し、メロディーを覚え、その身振りを私が完全に暗記して同様にオーケストラの前で演奏しても、決して同じ音楽を作ることはできないでしょう。指揮者の役割りは、表面上は指揮棒を動かすことですが、それは役割のごく一部分にしかすぎないからです。そこが指揮者の役割の難しいところです。では核心は何か。それは読んでのお楽しみ。


ビッグイシュー日本
\300
 運命の女神がどういう采配を振るうのか、人には知りようがない。会社が倒産し、事故にあい、ある日気がつくとホームレスになってしまっている。駅近くの道端で、かれらがこの雑誌を売る。一部が自分の収入となる仕組みだ。時々小銭で買う。時には残りをカンパする。今夜、彼はコーヒーを飲み、風呂に入るかもしれない。 
 私はビールを飲み、雑誌を読む。


岩波書店 上・下 
各\1900+税
 中世の修道院を舞台に、所蔵された禁書と相次ぐ謎の死をめぐって繰り広げられる知の世界の緊張と対決を描いたベストセラー『薔薇の名前』。この小説の作者、ウンベルト・エーコはイタリアはボローニャ大学の記号学の教授。修道士役のショーン・コネリー主演で映画化もされた。付き添う修道士見習いの少年アドソの晩年の回想記が古書として見つかったという出だしから、迷路のような修道院の図書館を深夜、師と2人で殺人事件の真相を求めて探索する息詰まる時間。書物が一字づつ書写され写本とされていた時代の修道院。アドソと不思議な少女との一瞬の出会い。めざす本が見つかったと思った時、図書館と修道院は炎に包まれ、アリストテレスやイスラムからの膨大な禁断の書物たちは失われてしまう。映画と小説ではエンディングが違っているが、どちらも秀逸。未見・未読ならばお勧め。
 さて、20年後、そのエーコが自らの故郷アレッサンドリアを舞台に、十字軍の頃の動乱の中世ヨーロッパを描いた書が、この『バウドリーノ』。十字軍により荒らされ、滅んでゆくビザンチン帝国、コンスタンチノープル。天性のほら吹きのバウドリーノが、周りを巻き込み、ウソがまことに、まことが夢にと入れ替わってゆくうちに、歴史の歯車が回っていく。事件と空想が交錯した奇想天外な世界を旅して、やがて、遠くオリエント・アジアへと至って、半獣半人ヒュパティアと出会い・・・。マルコ・ポーロの東方見聞録、『驚異の書』が現代によみがえる。


朝日新聞社
\1500+税

 井上ひさしが亡くなり、2010年7月1日、「お別れの会」で丸谷才一が弔辞を述べた。友情にあふれた、また、文学史上の位置付けを大胆に行なって、忘れがたいスピーチとなった(『竹田出雲や黙阿弥よりも』)。その前書きで、井上ひさし・丸谷才一コンビで「週刊朝日」のパロディ欄の選者を務めた思い出を、・・・二人とも若く、編集者と一緒になって、20年にわたって、情熱を傾け、大騒ぎを演じたことを懐かしく振り返ってもいる。
 弔辞では(用意した原稿を読み)、1930年代の日本文学を三流派の鼎立として論じた平野謙を引き、今日でもその区分はあてはまるのではないか、と述べ、第一の藝術派・モダニズムは村上春樹に、第二の私小説は大江健三郎に、さらに第三のプロレタリア文学は井上ひさしに、それぞれ継承・代表されるのではないか、と誠に大胆(不敵)な整理を行なった。
 彼(井上ひさし)の「志は一貫して権力に対する反逆であり、その思ひは常に弱者・・・弱い者の味方であることであつた」「彼は高い知性と教養の持ち主だつたけれども、・・・いつも大衆の一員であり、一人の庶民であつた」。この劇作家が「昭和史といふ悲しい題材に立ち向かつたとき、民族の愚行・・・一国民の犯した馬鹿げた行なひをしめやかに嘆きながら、・・・広島、長崎、沖縄、・・・満州事変から八月十五日までの死者たちの分まで、われわれはしあはせに生きなければならない、そういふ責任を」問いかける作品を残してくれたのだ、と締めくくっている。


集英社新書
\720+税

 「酒は酒だけで飲む。食べ物・肴と一緒には飲まない」師匠がのたまう。またまたご冗談を、うまい料理と酒が一緒でこそ、飲むのも進むというものです。師匠も本当に変なことを言ったりするのですね。と、旅の間、近くの座席の人と笑いあっていた。
 ところが。
 ある日のこと、久米宏の「ラジオなんです」を聞いていたら、ワインは食べながら飲むものではない。この赤は肉に合いますねえ〜、などと口の中で肉を噛みながらワインを流し込み、口中で混ぜ合わせるなどということは、フランス人は絶対にしない。食べ物は全部呑み込み終わって、その味ができるだけ残らないようにしてから、もしくは、さらにパンなどで味を消してから、しかる後にワインを含むのである。いわゆる「いっしょ食い」などは日本人だけである、と。久米さん、「私は、この本を読むまで、知りませんでした」と本書を紹介したのである。
 予約の20年後に料理が出される『20年食堂』を構想する著者。フランス人は(イタリア人も)夕食にたっぷり3時間はかけ、家族や友人・知人と会話しながら過ごす。食卓は世の中のあらゆることを知り、学んでいく場なのだという。日本ではひたすら美味を求めて、どこがうまいなどと探索してるが、フランス人はまずい料理でもいかにして楽しい時間にするかと工夫するのだとか。
 師匠、愚かな弟子をお許し下さい。 


集英社
\1600+税

 さて今回登場は、昨年、生誕150年の、アントン・パーヴロヴィッチ・チェーホフさんです(パチパチパチ)。
 --いかがですか、今回の新訳は?
 大変斬新で面白かった。100年以上昔の本を読んでもらえるなんてうれしいよ。自慢の短編を10ばかり集めてあるしね。
 --働きに出された子どもが、一生懸命におじいちゃんに「迎えに来て」と届かない手紙を書く『ワーニカ』なんか、泣けてきます。
 大事にされた思い出だけでもいいんだ。今の子どもだってそうだろ。
 --『かわいい』なんか、『かわいい女』という題で知られてましたが、これも味わいがあります。
 うん、トルストイが気に入ってしまって、あまりほめるので仕方なく、「あれには誤字がありまして」と言ったのは本当だよ。
 --『ロスチャイルドのバイオリン』もジンときます。
 死ぬ時になって、なにが一番大事だったかわかるものなんだ。
 --結婚後間もないのに、40そこそこで結核で亡くなる。もっともっと長生きして、沢山書いてほしかったとみんな思ってます。
 --惜しまれて去るのもいいもんだよ。しかし、遺体を「牡蠣(カキ)運搬用」の貨車で送られたのには参ったな。


文春文庫
\600+税

 今年はショパン生誕200年だったとのこと。5年に一度開催されるショパン・コンクールは、ちょうど今年。注目の中、ロシア人のユリアンナ・アヴデーエワという美女が優勝。年明けの1月には早速、日本公演とか。どんな音を聞かせてくれるのか楽しみである(筆者はCDで聞くしかないが)。
 一方ノーベル賞。平和賞などをめぐっては過去にもいろいろと物議を醸したようですが、ノーベル文学賞は南米ペルーのバルガス・リョサが受賞、賞金の1億円は独り占めか(庶民はこういうことが気にかかる)。2人とか3人受賞が通例の物理学賞・化学賞は分け合うのだから、取り分が少ない(損してるな)。
 生きていれば、「男はつらいよ」で活躍した渥美清のこの書なども、ノーベル文学賞候補になっただろう、少なくとも、「寅、ノーべル賞受賞編」なる映画ができてただろうなどと、勝手な想像が浮かぶ。
 寅次郎こと渥美清のもうひとつの顔、俳人「風天」(フーテンの寅から号を借りた)の、唯一の句集が本書。週刊誌「アエラ」の句会や、永六輔、黒柳徹子、山藤章二などそうそうたるメンバーの「話の特集句会」で活躍。
 埋もれていた句も丹念に発掘した快作から、年末にちなんだ句二つ。
     
      霜踏んでマスクの中で唄うたう
      行く年しかたないねていよう


新潮文庫
\590

 『ワイルド・ソウル』という読みごたえのある作の著者でもある。忘れられ捨てられた日本人南米移民(の子孫)が、日本で決起して、政府に過去に向き合うよう迫る、そんな内容だった。
 人を捨てる意味では、「リストラ」もそういう系列か。
 リストラを請け負う会社、本当にありそうだが、実はない。「ない」ことになってるが、実はあるのかもしれない。小説に書かれた時は虚構だったのに、時代が模倣することはある。
 自分の会社で同じ社員をリストラするのは表立ってできないので、社外に「汚れ役」として、請負ってもらうという設定である。
 時代のほうがはるかに先回りすることもある。この『日本ヒューマンリアクト梶xは、今はもう残ってないのではないだろうか。大会社では正社員も少なくなり、派遣・請負が対象であれば、もうリストラなど必要でなくなっていて、単に「契約満了」または「契約打ち切り」ですんでしまうかもしれない。それとも過当競争で他社に負け・・・
 続編『借金取りの王子』(2007年)までは活躍していた主人公、村上真介はどうしているだろう?失職し、陽子の世話になっているのだろうか。(勝手に会社をつぶしたり、主人公をリストラしてはいけないのだが)


光文社古典新訳文庫
 \648

 
 少し寒くなってきた。さて「外套」を、そんな古語を使う人はいない。「套」という字だって書けない。「詳細」をヨウサイと読んで笑われた人もいたが、「物見遊山」の読み方は私も知らなかった。(辞書を調べてモノミユサンとわかった)。人のことは言えない。いまなら、コートとかオーバーとか、レジャーとか、横文字起源の言葉になるのだろう。
 ドストエフスキーとか小林多喜二リバイバルのこの頃、本書も、新訳だが古典中の古典。(なお、従来の「検察官」は意味が違うとのことで、「査察官」と改題の由)
さて「外套」これは傑作中の傑作。冷たい木枯らしの吹く今の時勢に、アカーキー・アカーキエビッチの幽霊がよみがえる。爪に火をともす生活の末にようやく手にいれた外套を奪われ、死んだ彼が幽霊となって復讐する。「俺の外套を返せ」という声が聞こえてくる。いや一人ではない、数え切れないアカーキー・アカーキエビッチのしゃがれ声だ。
2003.8 29号以前の紹介図書
2005.6 49号以前の紹介図書
2006.1 56号以前の紹介図書
2008.11 87号以前の図書紹介
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