音楽散歩 第9楽章  ピアノ三重奏曲『偉大な芸術家の思い出』    2012年5月号
        作曲 : チャイコフスキー
竹太郎

 
 クラシック音楽を聴き始めて最初に好きになった作曲家はチャイコフスキーです。長い冬の凍てつく大地に続く白樺の森にシベリア鉄道が走る光景に憧れもしました。
 しかし、モスクワ〜ウラジオストク間9千キロを結ぶシベリア鉄道が完成したのは1904年で、チャイコフスキーが活躍した19世紀後半のモスクワはロシアの政治、文化の中心地・サンクトペテルブルクから700キロも遠く離れた内陸の都市でした。

 モスクワとサンクトペテルブルクの間に鉄道が開通したのは1851年。その後モスクワにも徐々に西洋文化が流入します。1865年にはロシアで2つ目の音楽院がピアニストのニコライ・ルビンシュタインによりモスクワに開設され、チャイコフスキーも作曲科の講師として招かれました。後にフォン・メック夫人の財政的援助を受けるまで、彼はここで教鞭をとります。

 1875年、チャイコフスキーはピアノ協奏曲を作曲し、親友のニコライに献呈するつもりで、彼の前で演奏したところ酷評を受けます。後にこの曲がヨーロッパで大成功を収め、ニコライもその価値を認め謝罪し、自らも演奏するようになりました。1881年にニコライが46歳の若さで亡くなると、チャイコフスキーはその死を悼みピアノ三重奏曲を作曲します。

 ピアニストの巨匠リヒテルの提案で、1981年の冬から毎年、モスクワのプーシキン美術館で『12月の夕べ』という音楽会が開催されるようになり、1986年、当演奏会でリヒテルと、ヴァイオリンのカガン、チェロのグートマンがこの曲を演奏します。その映像をYoutubeで見ることができます。
 この演奏を聴いて、やはりこの曲はロシア人の豪快で少し荒削りな演奏が一番相応しいように感じました。カガンはこの演奏の3年後に43歳という若さで癌で亡くなりました。
 ちなみにグートマンはカガンの奥さんです。

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