9月から10月にかけて16回にわたり日本各地で予定されていた中国のピアニストのユンディ・リの公演が尖閣列島問題ですべて中止になった。中国政府の行政指導があったとのことである。
ユンディ・リは2000年の第14回ショパン国際コンクールで18歳の若さで優勝し、華々しく国際デビューを果たした。このときの演奏はYoutubeでも見ることができる。第2次予選の最初に演奏した曲はショパンのスケルツォ第2番であった。4曲あるショパンのスケルツォの中では最も人気のある曲で、マリア・ヴォジンスカとの恋が破れた後、慰めを求めるようにジョルジュ・サンドとの愛が始まった27歳の頃の作品である。
本選でのピアノ協奏曲第1番の演奏が終わると会場からはスタンディングオーベーションが湧き上がった。誰もが天才ピアニストの再来を予感したのだろう。 審査員には20年ぶりに審査員に復帰したマルタ・アルゲリッチ(1965年の第7回の優勝者)もいた。
審査委員長のヤシンスキ教授は日本人からのインタビューの中で、「日本人は控えめで慎ましく静か。しかし、ショパンを演奏するときは心が解き放たれたように自由に大胆に表現する」ということを述べていた。日本人的な性格はショパンのようなロマン派音楽の演奏には不向きだが国際舞台のピアニストはその殻を打ち破ることができるという意味であろうか。
ショパンの母国ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアという列強の中で悲惨な歴史を体験した。ショパンの練習曲に「革命」という曲があるが、大国に併合されてしまった祖国への熱い思いが込められている。ショパンの繊細で美しい音楽の底に流れる悲哀や陰りを感じられない演奏はやはり何か物足りない。
ショパンの風貌にも何処と無く似たユンディ・リがショパンの霊が乗り移った様に演奏する姿はビジュアルな面が重視される現代には相応しいに違いない。
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