メナムという名の寂れた酒場で、美しい外人の女が「ソルヴェイグの歌」を歌っていた。
冬は逝きて春過ぎて 春過ぎて 真夏も去りて年経れど 年経れどきみが帰りをただわれは誓いしままに待ちわぶる 待ちわぶる 生きてなお君世に在らば 君世に在らばやがてまた逢う時や来ん 時や来ん 天つ御国に在すならば 在すならば かしこにわれを待ちたまえ 待ちたまえ
しかし突然の停電で店内は大混乱、気分もぶち壊しだ。翌日もこの店を訪れ、その女に、
「タイからいらしたのですか?」と尋ねてみるが、女はただ「違う」とだけ答えた。
僕らの世代は学校でタイを流れる大河を「メナム川」と教わったが、メナムとはタイ語で川を意味する普通名詞で、今では正しく「チャオプラヤー川」と教えられているそうだ。
結局、その女はどこの国から来たのかも分からないまま、いつしかその町からいなくなってしまった。
これは、小栗康平監督の「眠る男」の1シーンである。この映画を以前ビデオで見たことがあるが、そのときは訳の分からない映画だと思った。
今月3日、群馬県邑楽町で開かれた「第5回邑(むら)の映画会」で、小栗監督の話を聞いてから、大スクリーンでこの映画を再び見ることができ、ようやくこの作品の美しさや表現したかったことが伝わってきた。
小栗監督は商業映画、娯楽映画を否定し、映像を通して人間と自然のかかわりを描き続けていて海外で高く評価されている。この映画会は子供たちに良質の映画に触れさせようと、村のボランティアの努力と情熱で続けられている。
(HP:kenokuni.jp/muracinema)

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