音楽散歩 第18楽章 『天国と地獄』序曲
作曲 : オッフェンバック                                   2013年5月号
竹太郎

 
 小学校の運動会でおなじみの「天国と地獄」。かけっこが苦手な人にとっては地獄の思い出かもしれない。この曲の原題は「地獄のオルフェ」。ギリシア神話をパロディ化し、当時のフランスの世相を皮肉った楽しい喜劇音楽だ。この劇はパリで大成功し、日本でも半世紀遅れで浅草オペラで上演され人気を博した。
 岩手・花巻から上京していた宮沢賢治も足繁く浅草オペラに通った。SPレコードの収集家でもあった彼は地元に戻ると、この劇音楽を農学校の学生達にも聴かせ、「この曲を黙って聞いてくださいよ。この曲には風と雨の音が入っているんですよ」などと解説したという。
 浅草オペラ全盛時代の1920年前後の浅草は12階建ての高層建築である浅草十二階(凌雲閣)や活動写真や芝居など文化と娯楽の一大中心地だった。宮沢賢治は農業に従事する人間にこそ芸術が必要だという考えから、東京の文化の息吹を地方にも普及させたかったのだろう。
 この序曲は3部からなり、第1部では楽しい劇を思わせる愉快な旋律ではじまり、クラリネット、オーボエ、チェロ、フル−トが順番に美しい旋律を奏でる。
 第2部は突然嵐の描写になる。嵐はすぐに静まり、ヴァイオリンの穏やかな旋律に心が和まされる、そして晴れ晴れとした大音響で盛り上げてくれる。
 第3部が運動会のあのメロディー。ピストルの音とともに走らされる小学生は「僕達は競走馬じゃないんだぞ」と文句の1つも言いたくなるだろう。
 1923年9月に起きた関東大震災で浅草十二階は倒壊し、浅草歓楽街も消失してしまった。
貧困、病気、戦争、震災と当時は辛く悲しいことがあまりにも多い。そんな中で、宮沢賢治は美しく心優しい童話をたくさん残してくれた。童話の中には西洋音楽の描写も登場するが、オペラ通いやレコード鑑賞で育んだ音楽的感性の賜物に違いない。

                   

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