館林サイクリングロード 其の六(最終回) | |
竹太郎 | |
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館林県立美術館から住宅地と田畑を抜けて1時間ほど走ると 渡良瀬川にたどり着いた。皇海山を源流に、群馬、栃木両県の 境を流れるこの川は、かつて足尾銅山の鉱毒で苦しんだ。 時の政府は産業を優先し、田畑や川の汚染を放置したのである。 それに立ち向かったのは田中正造ら地元の人たちであった。 1900年、農民らが東京に陳情に向かうも、利根川手前の川俣村 (明和町)で弾圧されてしまった。 田中正造は雲龍寺近くの支援者宅で亡くなったときには、全財産を 失い、わずかの持ち物と聖書だけだったという。 現在の環境運動の原点を田中正造に見る思いがする。 田中正造が亡くなって93年、今では、川に沿ってサイクリングロード が整備され、美しい山並みとともに群馬、栃木両県のふるさとの風景 として親しまれている。 (完) 写真: 正面は赤城山。左手に渡良瀬川、右手に田中正造の墓がある雲龍寺。 |
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