上海・蘇州への旅(蘇州編 その4・最終回) | |
蘇州大学は蘇州の域内だけでも幾つかの広大なキャンパスを構えているのですが、週に1度、2台のバスを連ねて、“周荘”にある分校での授業のために、先生たちが移動します。蘇州から約40キロのバスツアーで、朝早くから、本校に集合した先生たちを乗せて、周荘に向けて出発します。バスに揺られること約1時間で、周荘分校に到着します。 周荘鎮(鎮=町)は、蘇州とは淀山湖を挟んで南対面に位置する中国一番の水郷として知られた町です。 ジェット機で飛び回る時代に、のんびりとした水路を利用する生活…ほのぼのとした雰囲気たっぷりの水郷の町「周荘」は、時代から置き忘れられたような異次元空間のようで、その半分以上の建物が明、清の時代に建てられたままで、元、明、清の時代に建てられた古橋も10本保存されているという、そのまんま歴史博物館のような町ですので、町に入るにも観光料が必要です。 チケットは周遊券のような感じで、いくつかの観光スポットを回れるようになっていて、それぞれの観光スポットに入場するごとに、鋏みをいれてもらうようになっています。全部回れれば良いのでしょうが、半日コースでは回りきれないところもあります。ゆったり観光1日コースでのんびりするのも良いかもしれません。 |
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我々は、蘇州大学の“バスツアー”に便乗させていただいて周荘分校まで行き、専用のツアーガイドを紹介してもらってから、周荘観光に出発です。午前半日観光で、昼食は蘇州大学周荘分校の食堂でご馳走になるお手軽なコースです。 いわゆる歴史博物館的な周荘観光領域の入場門で、ここからが有料です。本日のガイドさんと記念写真を撮りました。ガイドさんは英語系の学生さんで、我々の友人の生徒さんです。 先生からガイドを頼まれたので、前の晩からガイドブックを参照しながら、案内のポイントや説明を熟読してきました…という熱心で可愛らしいガイドさんです。 |
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左の写真は有料領域に一歩入ってからの写真で、ちょうど逆光になってしまって、夕方のような雰囲気になってしまいました。 貴重な車が写っていますが、ここでは下の写真にあるように、幌付の力車が観光客の貴重な足となって活躍しますが、裏へ回ると道が狭いので、自前の足で歩いて回るのが正解のようです。 |
この地域は「貞富里」と呼ばれていたそうですが、今を遡ること900年、北宋時代の元祐元年(西暦1086年)に、周迪功郎という人が仏教ヘの篤い信心から、自分の邸宅を寺として提供し、さらにこの地域に開墾した田200ムー(約13ヘクタール)を寺に荘田として寄進したことから、その荘田を周迪功郎の名をとって周荘と呼ぶようになった…とのことです。 この地の名家に瀋家、張家があり、それぞれの家も見学コースに組み込まれています。 瀋家は西に延びる白蜆江により京杭大運河へ、東に延びる瀏河により海につながるという交通の要衝としての位置を活かし交易を行い、周荘を食料、シルク、各種手工業品の集散地として発展させ、そのお蔭で、周荘は手工業品生産地としても発展したそうです。 |
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瀋家は、濠から奥に向かって細長く延びた2000平米強の敷地(間□約20m×奥行き約100m)の中に7つの中庭を持つ建物と5つの門が直線的に配置され、部屋数は大小合わせて100室を超えるとかで、往時の瀋家の繁栄ぶりを窺うことができますが、これだけではなく、名物の豚肉料理・万三蹄(周荘名物の豚の後ろ足を煮込んだ料理で、いたるところで売られています。)や万三カステラ(厚さが薄く口に入れるとすぐにとける。)などに、瀋家の反映を築いた瀋万三にちなんだ名が冠せられていることでも、その絶大な影響力を推し量ることができます。 |
張家は明代の建築物だそうで、6つの中庭を持つ建物で構成され、約70の部屋を持ち、建物の中を水路が流れ「車が前門から入り、船が家の中を通る」と表現される水郷建築の典型だそうです。 | |
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上の写真を比較すると、水路をのんびりと進む方が、気分もよさそうに見えます。 |
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これが瀋家内部だったと思っています。 |
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昔ながらの景観をそのまま残す歴史風俗保護区なので、町並みは映画村のセットのような趣そのままに、狭い通路しかありません。観光客がたかってしまうと、通るのもままならないような狭さです。ここでの生活道路は水路なのでしょう。 中国では蘇州や杭州の素晴しさを称える言葉として、「上有天堂、下有蘇杭(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州がある)」が有名ですが、「上有天堂、下有蘇杭、中間有一箇周荘(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州があり、中間には周荘がある)」と言われることもあるようです。 |
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名物の豚肉料理・万三蹄 全福寺は、湖上に橋でつながれた「山門」「指帰閣」「大雄宝殿」「蔵経楼」等より形成される「水中の仏の国」とも呼ばれる寺です。 蘇州から一跨ぎの位置にある周荘(“周庄”とも書きます。中国ではこちらの方が巾を利かせています。)へやって来て、改めて“水郷”と呼ばれる土地柄に目を見張る思いでした。 |
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蘇州は網の目のように運河が巡らされていますが、これは、呉の時代からの軍略の賜物のように思えました。周荘は湖の中で暮らしていくために、堀で仕切り、船で交易する工夫を取り入れ、生活の場として生かしてきたように思えます。 今も運河のほとりで洗濯をしたり、野菜を洗う姿を見ると、ちょっと汚いな…と思ってしまう我々よりも、ごく自然に、そこにある生活を享受している人々の営みに、なんとなく惹かれるような思いがしました。 蘇州は美しい町ですが、中国の急速な経済成長に見合わせるかのように工業化が進められ、多くの外国企業が進出してきて、工業特区(日本風に言えば“工業団地”)が増え、少しずつですが環境も汚染され始めてきています。工業特区の近くにある湖の水を浚って、湖の大掃除をしている光景も目にしました。 人間の営みがスピードや効率で支配されていくと、環境が破壊され、汚染されていくという見本のような気もします。園林の街としての蘇州は、いつまで地上の楽園としての姿を留めていられるのか気になるところです。 <了> |
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