平和のインドシナ駆け足紀行 Aクメールの微笑(カンボジア) 2007年5月号
H.I.
 暑い、アツイ。黙って立っているだけで汗がわきあがってくる。

風もなく、炎天下のカンボジア、アンコール遺跡群。ただひたすら暑い。
これが、4月5月にはもっと気温が上昇するという。さすがにツアーも人数が減ったりするらしい。この地で生きるのは過酷なのだ。
なのに、ジャングルの奥、忽然と姿を現す寺院、かつて栄華を誇ったクメール王朝の遺跡と造形美には、圧倒されるものがある。

アンコール・トムの巨大な顔面はいずれも、何世紀もの時を越えて静かにほほえんでいる。ごつごつした壁面の中で、顔だけが優美でなめらかな曲線でしあげてある。

 カンボジア北西部、大きな湖トンレサップの北、シェムレアップには、空路ハノイからベトナム航空A320機で入った。

1973年11月には日本人カメラマン一之瀬泰造が、クメール・ルージュ支配下のアンコールワットで行方不明となり、のちに殺害されたと判明している。

75年から79年にかけてポル・ポト派の下でのカンボジアでは200万人とも400万人とも言われる人が処刑・強制労働・飢餓で死に追いやられてもいる。

都市も貨幣も知識も芸術も廃止された狂気の世界から、かろうじて生き延びた人が、今のカンボジアにいることになる。

道端では、地雷で足を失った人たちが楽器を演奏して、観光客の募金を集めていた。

地雷撤去に日本が活躍しているとのことだが、まだまだ多数の地雷が埋まったままだそうだ。内戦は80年代中続いていたのだから、ここでは、平和はやっと10年と少しだ。日本の援助で建てられた小児病院に診てもらうため、道路で何日も寝泊りして待ってるたくさんの人がいた。

 ガイドのファービさんはとても小柄な女性だ。日本語学校で学んで(選抜された3人のひとりとして)、日本語はとてもうまい。

冗談を言ってみんなを笑わせていたが、日本に来た事はない。はじめての外国旅行に母親をバスでベトナム南部に連れて行くのを楽しみにしているそうだ。

まだまだカンボジアは貧しく、働く女性はここでは少ないとのこと。(これはベトナムとずいぶん違う)

 あまり暑いので、昼休みはホテルで1時間ばかり休憩(シエスタ)。

午後、再出発、確かアンコール・ワットの夕景をみたはずだが・・・。

夜、クメール・ダンスショー(アプサラダンス)。遺跡の像と同じしぐさの踊り。(ポル・ポト時代には踊りなど厳禁だったので、平和になってから、ほとんどゼロから再建なのだ)。

トムの遺跡は何十年も涙を流していたのかもしれない。

今、ようやく、すこしほほえみをとりもどしたのだ。



アンコール・トム (カンボジア)

クメール・ダンス(カンボジア)



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